賢妻と作った城
先日は、🌊土佐の高知の鰹🐡が出てきたので、察しのいい方は「たぶん💡」と思われたことでしょう。
今回は、そう、高知城‼ であります。
高知城は、織田信長さんの臣下であった羽柴秀吉さんの配下から出世し↗、関ケ原の戦い⚔で徳川方についたことにより、土佐一国24万石の大大名👑となった山内一豊(やまのうち かつとよ)さんが、1601年に築城に着手したお城🏯で、最後の城郭である三の丸の完成までは10年⁉もの歳月を要したという本格的なお城✨。
現在の天守は、🔥火事により焼失したそれを1749年に再建したものということで、それでも300年近くの時を経ているんですね。🙏
(🌳🌳苔むした石垣といい、天守の階段の中央部の減り具合といい、🌙エイジングの魅力を満喫させる時代感は、さすがのひと言ですね👍)
また、山内一豊さんと言えば、賢夫人の✨誉れ高き 一豊の妻(かつとよのつま)さんがあまりに有名であり、このお城🏯のどこかに必ず銅像がある💡と思っておりましたが、うん😉、ちゃんと目立つところにいらっしゃるではあ~りませんか、
けれど✋…想像していた夫である一豊さんと手に手を携えて🤝というお姿ではなく、そのお姿は、ご主人の出世の糸口となったお馬🐎さんとの2ショット…なるほど❗、確かに「一豊の妻」がしっくりとくる年配の皆様方には、このお姿がもっともご納得なのでありましょう。😊
一豊の妻さんは、貧しい暮らしの中でも🏠家を守り、戦うことに懸命な一豊さんの支えとなり 、夫が 今が出世の正念場💪注1)にあると判断した時には、思い切った行動や助言を行い、夫の出世の糸口を自ら見出してきた賢夫人✨。
※1)信長公謁見の🐎馬ぞろえの場面においては、どんなに生活が苦しくても大切に守ってきた持参金10両¥を取り崩し、夫に最高級の馬を段取りし✌、信長公の目に留まらせるようにしたとか、関ケ原の戦いにおいては、関東にいる一豊に大坂方の情報👍を知らせ、徳川方に組することを促したとかの逸話があります。
いやぁ~…世の中には、ホントに☀あっぱれな奥様がいらっしゃったんですねぇ~…はい😊