美保神社
久文です。
先日、美保神社さんにお詣りしてきました。
美保神社さんは、天平5年(733年)に編纂された出雲風土記にも記されている由緒正しきお社。
ご祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の御后(おきさき)神である三穂津姫命(みほつひめのみこと)様と
大国主神の御子神である事代主神(ことしろぬしのかみ)様。
三穂津姫命様は高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神様で
「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神。
また、事代主神様は鯛を手にする福徳円満の神 えびす様として世に知られ、
「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰をされております。
そして、石段を登り神門をくぐったその先には、
じゃぁ~ん! どっしりとした風格のある建物、
拝殿(はいでん)がご登場でありました。
この拝殿、昭和3年造営ということですから、築93年ですか!
船庫を模した独特な造りで、壁がなく、梁がむき出しで、
天井がないのが特徴であり、この構造に加え周囲が山に囲まれている為、
優れた音響効果をもたらすといい、鳴物をお好みになるご祭神への崇敬から
年間を通して音楽の奉納も数多く行われているとのこと。
(以上、美保神社さんの公式HPから抜粋)
(#^.^#) いやぁ~…いいですねぇ~♫
長きに渡り人々の祈りを集めてきたこの地には、
神聖な気が満ち満ちており、実に清々しい気分にさせていただきました。
ありがとうございます。m(_ _)m
ということで、このご由緒ある美保神社が鎮座ましますここ美保関は、
江戸時代には北前船の風待ち港として賑わい、一日千艘もの船が行き交い、
積み荷を運ぶために、青石を敷き詰めた石畳の両側には、
宿屋を兼ねた廻船問屋が軒を連ね、大いに栄えたとか…
写真は、往時の名残りを今に伝える青石畳通りと大正レトロの街並み…
ありし日には、ここを与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など
多くの文人が訪れたと言われております。
(#^.^#) あぁ~… いいですねぇ~♫
美保関は、とってもいいところです。はい