燃える秋 その3(終章)
キュービックホーム社長の久文です。
ということで、まずは川面に突き出た飛び石を
慎重に、慎重に、伝って川を渡り、
続いては・・・
(^▽^;) ふぅ~と、息をつく暇もなく、
見上げたとたん、( ゚Д゚) 口をあんぐりとあけたまま
思わず身が固まってしまうような急峻な石段を
おっくうになりながらも、かろうじて登り
さらにさらには、滑り落ちればただでは済まない
斜面の中の杣道(そまみち:細くて険しい細道)を
マジでビビりながら、そろりそろりと進み…
(正直、引き返そうかとも思いました。(*_*; はい )
いよいよ大詰め(?)かと願いつつ、
ほぼ川と一体となった足場の悪い道なのか、
河床なのかを、恐る、恐る、進んでいくと
じゃぁ~ん!
( ゚Д゚) おおっ! 目の前にお出ましになられたのは、
垂直の断崖絶壁の岩屋の中に建立された
三徳山投入堂(みとくさんなげいれどう)にも似た堂宇(どうう:寺社の建物)でありました。
いやぁ~… いいですねぇ~…♬
久しぶりに拝ませていただきました。合掌…。
昔々その昔、今をさること1,400年も前のこと
今の何十倍もの多くの水を湛えた(たたえた:溜めた)淵のほとりで
推古天皇(すいこてんのう)の眼病平癒(がんびょうへいゆ)を祈り、
一心不乱(いっしんふらん)に、ご祈祷(ごきとう)を行っていた
智春上人(ちしゅんしょうにん)の手から思わずも滑り落ち、
深い淵の底に沈んだ法具(ほうぐ:仏事に用いる道具)を
エラに引っ掛けて淵の上まで上がり、
上人に奉じた 鰐 (わに:わにざめ)の物語が
こちら 鰐淵寺 (がくえんじ)の称名の由来となったとは
当山の縁起(えんぎ:社寺の起源)に伝えられるところであります。
(。-`ω-) / ということで、
このお話を、信じるか信じないかは、アナタ次第!ですが、
それは、きっと、
( ̄▽ ̄) / 在った! と想う私でありました。
(*´▽`*) はい
( 燃える秋シリーズ The END )